「子どもの貧困から見えてくるもの。」

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

最近は貧困問題についての報道もだいぶ増えてきており、本書に紹介されるような実情も大体認識の通りでした。そのマスコミなどで注目が集るようになった切っ掛けとして、本書が果たした役割もかなり大きいのではないかと思います。

本書を読んだ印象としては、子どもの貧困にも増して母子家庭差別の告発という要素が強いようにも感じられ、子どもの貧困問題の解決はもちろん必要なのですが、そもそもの問題として、なぜそれほどまでに母子家庭は差別されるのかといったところに問題の本質があるような気がして、そこを突き詰めていかないと結局は子どもの貧困問題の解決も難しいのではないかと感じます。
もちろん母子家庭のみが貧困問題の対象ではありませんし、父子家庭も高齢者の貧困も学歴格差も含めて、最も端的に社会的疎外の中心にあるのが母子家庭ではないかと思われます。
それは、モラル的な意味合いでの批判による社会的な罰であり、自業自得であるのだから援助などもってのほかといった感情的な要素が強く、根深い自己責任論や自身の余裕のなさに基づく最近の日本社会の不寛容さと相まって、母子家庭により一層の世間の厳しい目が向けられているような気がします。

具体的にどのような人がそのような厳しい意見を発しているのか、その人の価値観や生活背景を含めた詳しいデータがあれば、もう少し効果的な対処方法も可能になるのかも知れませんし、実は世間の人はこう思うだろうといった一般的な価値観で批判している場合も多いかもしれず、単にメディアによって作られた言説である場合も考えられます。

いずれにしても、経済的な不況の影響が社会的弱者といわれる人たちに最も顕著に現れるのは当然であり、その端的な例が子どもの貧困というわけですが、その背景にある母子家庭への社会的排除も、あまり省みられない父子家庭の困窮も、高齢独身女性の貧困も結局は性別役割分業というこれまでの価値観が強固に存在していることが背景にあり、貧困問題だけでなく少子高齢化も含めた多くの問題が、そのような価値観に基づく社会制度の持つ不自由さによって状況を悪化させていることは間違いありません。著者の、日本は欧州のような「失業問題」ではなく「ワーキング・プア」の問題であるという見方は端的にそのことを表しているものと思われます。

よってことは経済回復による金銭的な充足で解決できるような問題ではなく、これまで経済拡大により覆い隠されてきた価値観や制度といった根本的な構造的歪みを、これからのあるべき社会を見据えて組みかえる抜本的な見直しが必要なのだと思われます。
逆に、単なる経済対策で従来の基本構造を温存したままこの場をしのげば、再び根本的な問題は隠されたまま、これまでと同じことが繰返されることになります。
よって経済政策以前に、価値変化を伴う社会構造の転換を行う必要があり、そのキーワードが現在でもしばしば言われる、ワークライフバランスであったり、QOLといったものだと思いますが、それらがまだ経済成長阻害要因として後回しにされがちなのは、慣習と言う名の既得権益が社会に根強く残っているからなのではないかと考えられます。

本書でも指摘されているように、日本の政策は福祉の視点ではなく労働すなわち経済対策の視点で行われているように見えるというのはその通りであり、そのような政府や親のための「少子化対策」ではなく、子どもの幸せを考えた子どものための「子ども対策」を行って欲しいという著者の意見には強く賛同します。
これは、少子化対応の話だけではなく、教育にしても医療介護にしても同様であり、政府の進めるサービスの契約化と民営化の流れに顕著に現れていますが、財政の厳しさが背景にあるのもわかりますし、効率化やサービス改善の点で優れているかもしれませんが、ドライで温かみが薄いような感じがして、福祉の分野には向かないように思います。
個人的には、官でも民でもない公の視点が重要ではないかと考えます。

本書は、子どもの貧困の現実を明らかにし、その状況を何とかしたいという著者の切実な訴えの書であると同時に、日本人の子どもの必需品に対する支持の低さや、母子家庭への厳しい目に象徴される自己責任意識に基づく社会的不寛容さと、その背後にある男性原理に基づく社会システムの歪みの是正を迫る意識改革の書でもあると思います。

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<一言>
日本に限った話ではなく、格差において排除されるのは何処の国でも社会的弱者と相場が決まっており、逆に言えば権力や財力など力を持つものが既得権益固執することにより、その真逆にいる者がしわ寄せを食うという構図であり、カネを持った男の年寄りに対する金のない若者や女性および子どもがはじかれるという単純な話でもあります。
もちろん制度自体がそのような価値観を基に作られているのだから、制度だけを変えればいいという話でもなく、基になる価値観が変わらなければ何も変わらず、そもそも制度を変えることも困難なわけです。
保守が何を守るのかという問題も重要ですが、原理主義になると全体を滅ぼしかねないので、ある程度の妥協は必要なのだと思います。
価値観の問題に利害か絡むと理念はどこかへ吹き飛びます。