「警鐘は常に鳴らされます。」

<非掲載 2009.5.27>

スモール イズ ビューティフル (講談社学術文庫)

スモール イズ ビューティフル (講談社学術文庫)

前から読みたかった本の一つですが、ようやく読むことができました。
やはりというべきか、噂にたがわず素晴らしい本だと思いました。
まさに現代の経済社会の進む方向の一つの極を示していると思われ、近年のエコロジー思想との関連性も十分に感じられます。

内容は、今現在の行き詰った世界の状況にかなり当てはまりますが、この本は1970代前半に出された本であり、資源の問題、エネルギー問題、環境問題など、当時から既に先進国の中でかなりの問題になっており、ローマクラブの『成長の限界』やライアル・ワトソンの『沈黙の春』に代表されるような、科学技術万能主義への疑問や、天然資源の莫大な消費を伴う大量生産大量消費社会への警告などが、かなり真剣に取りざたされていた時代でもありました。
折りしも石油ショックもあり、際限ない拡大主義からの転換を図る絶好のチャンスでもあったと思われますが、世界は新自由主義的経済拡大への道を突き進んでいきます。
それから40年ほど経って、地球温暖化原油価格の高騰、さらには世界的金融危機という状態を迎え、ここにきてようやくまた無限の成長という幻想への疑問が省みられるような、成熟社会への気運が生まれてきたように思われます。

この本では、経済的であること、いわゆる採算性のみを重視した経済活動により、いかにいびつな世界が作られているかということを示し、どうやって持続可能な社会を構築していくかという、人間本位の経済についての考察を行っています。
要するに、著者が主張しているのは、有限の資源で無限の経済成長は有り得ないということであり、欲望に根ざした無制限の消費社会から、節度のある成熟した社会への転換を提唱しています。
それは、著者の言う仏教経済学という言葉に表されるように、足るを知るという、分別のある、大人の経済であるべきということです。
最近の、破綻に至ったカジノ的投機金融による資本主義の暴走は、彼の主張に全く耳を貸す事の無かった社会の成れの果てという感じですが、これはある意味、逃れようのない人間の性を表しているのかも知れません。

また、この本の中で注目されるのは、発展途上国において必要な経済対策は、最先端技術を用いた大規模工場の誘致などではなく、現地の物質的人的資源に基づいた、その地域で経済を回せる生産物と、それに見合った中間技術であるという指摘であり、投資する側の利益誘導の思惑に左右される一方的な援助でなく、現地の繁栄を考慮した真の経済援助を提唱していることです。
これは、現在のグローバル化における地域経済の衰退問題にも通じる内容であり、この中間技術の提案は、いかに地域の活力を保つかという課題に一つの示唆を与えるものではないかと思われます。

著者の視点は常に”どちらか”ではなく”どちらも”であり、一方的に良いものも悪いものもないのだから、いかに良いところを合わせて取り込むかという現実主義的な見方で問題にアプローチしているようです。
組織であれば、大組織は秩序を形成し、小組織が創造性を生み出すとし、また社会主義にしても、資本主義と組み合わせることでより良い制度が可能であることを示唆しています。
これが、社会民主主義を意識したものかどうかはわかりませんが、著者の、大企業を社会に統合し社会的責任を果たさせようとする考えは、ある意味納得のいくものに思われます。

本書の内容は、今でこそ当たり前のように感じられるような現代的な内容ですが、これまでの世界の動きを見ても実際に取組むことはなかなか困難であり、実現を阻むものが、人間の本性に深く関わる根深い問題なのだと感じます。
社会的転換点にある現在の世界において、方向性の転換が現実に可能なのか、今こそ我々は試されているのではないかと感じられる、重い問題提起の本だと思います。

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<一言>
やっぱり文章が長いです。
これでは掲載は無理ですね。

この本の書かれたオイルショックの時期は、このような環境関連の本が結構あり、世の中の風潮も「モーレツからビューティフルへ」と転換を促すようなものだったはずですが、なぜそのまま舵が切れなかったのか、はやりまだ時期的に早かったのでしょうか。
その後のグローバル化とも関係するのでしょうね。