「本当のアダム・スミス、本当の経済学。」

<転記 2009.5.3>

なんか読んだことがあるような気がすると思ったら、これは以前日経新聞の「やさしい経済学」の欄で掲載されていたものの完全版のようなもののようで、その内容は覚えていませんでしたが、アダム・スミスが通常思われているようなイメージとは本当は違う、ということを述べてあったような記憶はありました。

アダム・スミスといえば、経済学の祖としてかなり有名であり、「見えざる手」という言葉は教科書などで一度は目にしたことがあると思います。
主著は『国富論』で、私も読んだことはありませんが、経済において自由放任主義を主張し、規制はなるべく少なくして、競争によって国を豊かにすることを目指すべきと言ったとか言わないとか。
この本は、一般に思われているスミスのイメージが、実は単にスミスの主張の一部を都合よく解釈したものにすぎないことを明らかにした上で、本来のスミスの主張を、スミスのもう一つの著作である『道徳感情論』から読み解くといった内容のものです。

読んでみて感じるのは、スミスという人が単なる経済学者ではなく、間違いなく偉大な思想家なのだということです。スミスの根本にあるのは人間性への深い洞察であり、人間の本当の幸福とは何であるのかを、社会の状況を踏まえながら突き詰め、その上で経済のあり方を考えているということです。

スミスは、真の幸福とは心の平静である、といいます。
そして、経済を発展させるのは人間の弱さであり、虚栄心こそがより多くのものを必要とし、競争により文明を進歩させるのだといいます。
これは社会の繁栄をもたらす一方で、社会の混乱をも引き起こします。
スミスは、真の社会の繁栄のためには、フェアプレイの精神がなくてはならないともいいます。
つまり、自由な競争には”徳”が不可欠であるということです。

さらに『国富論』でスミスは、国民の幸福のために、真にあるべき経済を追求しています。
スミスは重商主義政策を批判しますが、それは、本来流通手段である貨幣を富と勘違いし、貿易黒字だけを目的とする政策だからであり、その最も象徴的な出来事が、アメリカ大陸に対するイギリスの植民地政策でした。

スミスの考える、あるべき経済の姿は、政府や利権を持つ権力者の蓄財のために、大きく歪められていきます。スミスが規制を嫌ったのも、そのような権力側の恣意的利益誘導による市場の歪みを、避けたかったというのもあるようです。

政府や地主層の無知無能による野放図な浪費は、国の富である資本蓄積を妨げ、一部の資本家の貪欲による競争の規制は、公共の利益を著しく損なうとしてスミスは厳しく批判しますが、それらの帰結としての戦争が、国民の富をいかに食いつぶしてきたかという、スミスの強い憤りがあったように思われます。

そして、さらにスミスの偉大なところは、一国の富だけでなく、あらゆる国々の富の増進を企図しているところです。市場は人と人を繋ぎ、豊かさを分け合う機能として捉えており、そのために、自由で公正な経済システムの構築が必要だということです。

本書は新書ですが、その内容は深く、現代の我々に示唆するところはかなり大きいと思われますが、一度読んだだけではその全容は掴めません。
じっくりと考えながら、何度も読み返す必要のある本だと思います。
もちろん、スミスの著作を読むのがいいのでしょうが、それはかなり大変ですし、この本からでも十分得るところは大きく、またこのような本の存在意義でもあるわけです。

真の経済学とは何かを考えるための、とても有意義な本だと思います。

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<一言>
近代経済の基本は、やはりアダム・スミスということになるようです。
理論的なところなど、きちんと読み直す必要がありますが、どうしても後回しになってしまいます。
経済における”徳”を謳っていますが、民主主義でも同じことで、結局はどのような制度においても、”徳”なしではうまくいかないのではないでしょうか。