「いったい何が起きているのか?」

<転記 2009.5.17>

暴走する資本主義

暴走する資本主義

この本では、昨今の世界的金融危機グローバル化による格差の拡大などに関し、現在の金融システムの中において、資本主義にいったい何が起きているのかを、感情的な悪者探しに走ることなく、冷徹な視点で論理的かつ説得的に分析を展開していってくれるため、頭の中が整理でき問題の所在がよく理解できます。
著者の主張を一言で言ってしまえば、現在の状況は、超資本主義化により民主的資本主義が衰退してしまった結果である、ということです。
それは、容赦ないリストラを断行する企業や、莫大な報酬を受け取るCEOなどが、昔に比べて貪欲になったからというわけではなく、様々な条件が重なった結果、なるべくしてなったということです。
そして、その担い手の最も重要な位置を占めるのが、投資家であり消費者である我々であり、決して他者にばかり責任を押し付けていられる立場ではないという厳しい事実をつきつけられます。
この本では、アメリカの状況について述べていますが、先進諸国のどこにでも当てはまることであり、日本でも全く同様の現象が現れているのは明白です。

50年代のアメリカでは、企業は寡占状態にあり、競争は意図的に抑えられ、高い収益を得られる代わりに、労働組合は強力で、賃金や福利厚生は高い水準で維持されていました。それが70代になり豊かさが広がると状況は一変し、企業の力が弱まり代わって投資家や消費者が力を持つようになってきます。
この動きを促進したのは技術革新であり、特にコンテナを中心とする流通の革新と通信の発展による情報革新が、社会と経済の様子を劇的に変えました。
競争を余儀なくされた企業は規制緩和を求め、政治にも圧力を掛けるようになっていきます。さらに、その後のインターネットによる金融取引の簡素化や、金融に関する規制緩和、そして様々なタイプの金融商品の開発で金融市場は膨大に膨らみ、その後の金融破綻へと突き進んで行くことになります。

消費者は少しでも安い商品を企業に求め、投資家は少しでも高い配当を企業に要求し、応じられない企業は容赦なく他企業へと乗り換えられていき、企業は否応なく厳しい競争へと駆り立てられ、その結果、容赦ないリストラを断行することになります。
皮肉なのは、リストラされる労働者の別の顔が、企業を競争に駆り立てる消費者でもあるという二面性です。
地元の商店で買わず、郊外の大型ディスカウントショップで安く買うようなことをしておきながら、企業にのみ倫理性を求める行為は公正でないと著者は言います。
さらに著者は、自分の行動が社会に与える影響を考慮する市民としての自覚を促し、そして、激しい競争の中で企業に取り込まれた政治を、市民の手に取り戻す必要性を説きます。
この辺のところは、アダム・スミスの、公平な市場ためには人々は道徳的でなくてはならない、という言葉を思い出させます。

いかに企業が非情であっても、それはあくまで合法的行為であり、合理的に利潤最大化の行動をしているに過ぎず、企業の行動を変えるには法律を変えるしかなく、そのためにはまず、企業を政治から引き離すことが必要であり、さらに、企業を人格のある存在として扱わず、あくまでも人間が合意して社会的決定を行っていく、真の民主主義の実現が必要である、ということを著者は訴えます。
この辺は、日本ではさしずめ、官僚からの政治の奪回となるのかも知れません。

この本を読んで私が感じたのは、今ある状況はなるべくしてそうなっており、その状況を変えたいと思ったら、なぜそうなっているのかを、目先の問題に囚われず、広い視野で、かつ厳密に見ていくことの大切さです。
でないと、ただ文句を言うだけで、何が起きているのかわからないままに、自分の望む方向とは違う方へと流されていってしまうのだと思います。
システムの変革と自分自身の変革は、どちらも欠かせない対の要素なのだと思います。
この本は私にとって、現在の経済状況から自身を見つめなおさせるような、意義深い内容の本でした。

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<一言>
現代は、金融資本主義であると同時に消費者資本主義でもあるということであり、結局は民主主義の質、もっと言えば自分たち自身の人間性が問われている、ということになります。
人類全体のレベルアップが必要ということなのでしょうか。。