「あるべき経済学への想い。」

<非掲載 2009.7.12>

思想としての近代経済学 (岩波新書)

思想としての近代経済学 (岩波新書)

本書の、経済学的理論説明の部分は正直理解できていません。
経済学はやっぱり難しいと思わせるには、十分なわかりにくさを含むと思われます。それでも、おぼろげながら近代経済学の流れや考え方、問題点について、多少は認識できたかもしれません。
本書は、近代経済学の形成について、リカードを初め著者の選ぶ11人の経済学者を取り上げ、その考え方や問題点を著者の視点から検討していくものであり、本文にもあるように、恐らく一般的な経済学史とは若干異なる展開の仕方であるようです。

その基本的思想は、いわゆる新古典派といわれる経済学の潮流の形成に対する最大の障害が、供給されるものは全て需要されるという「セイ法則」であり、この前提が、経済理論と現実の経済との乖離を生み出すことに誰も注目せず、初めてそのことを指摘したのがかのケインズであり、その後の近代経済学の発展へと繋がるとのこと。
しかし、そのことを無視した理論を展開する経済学者もおり、それらに対して、見えざる手が市場を調整するという、自由放任による価格機能はもはや機能しない時代であることを示し、不完全な価格機能の分析というケインズ問題を、再び考えなければならなくなったことを著者は強調します。

また、著者の基本的スタンスだと思われますが、これからの経済学は、社会学など他の分野との統合なしでは現在の複雑な状況に対応しきれないという考えから、社会学的要素の強い人物を取り上げ話を展開します。それが、高田保馬の勢力論であり、さらに、マルクスウェーバーらの壮大な思想や、シュンペーター社会主義化、パレートの社会的均衡などであり、それらについて検討し、経済学の統合の試みを概観します。

ケインズについては、著者曰くウルトラ市場主義者のフォン・ミーゼスと対比させる形で検討していますが、著者がケインズを相当高く評価していることが、その文章から窺われます。
それは、経済学者というよりも、その一貫した政治的態度の崇高さによるものであり、第一次世界大戦後のドイツへの膨大な損賠賠償請求が不当であるとして、後の禍根になることを強く懸念し、なんとか阻止しようとしたケインズの見識と行動を、正義の行為者として描いています。
恐らくこれは、著者の経済学への考えも反映されていると思われ、マーシャルの言葉とケインズの行動から、「経済学者に必要なものは冷たい理性と暖かい心、そして勇気である」ということを述べています。
ここから、著者の理想とする経済学への想いが伝わってきます。

著者の結論として、資本家のみを優遇する社会体制では、それ以外の人たちの反感を買い、必ずその体制は崩壊するため、資本主義経済の維持発展には福祉部門を包含する、混合経済であるべきだとし、また、社会主義では、有能な経営者の不足と、社会主義的搾取という、需要に関係なく人々に不用な労働を強いる状況などの非効率性を指摘し、社会学的視点の経済学を拡充する必要性を強調します。
そして、国家体制についても、民族国家は縮小し、欧州連合的な国境を越えた広域連合体の成立を予言しており、それに見合った形の経済学の登場を要請しています。

本書は、一般的経済学とは異なる見解も幾分含まれているようであり、経済学にある程度馴染みがないとその違いもわからず、内容的にも専門的用語や経済理論があまり解説もなく使われたりするため、理解し辛いところも少なくありません。
そういう意味で、私的にはあまり初心者向きとは思われませんが、近代経済学形成の一つの視点を得られることや、セイ法則の影響の重要性、そしてケインズの偉大さを再認識するという意味でも、読んで損のない本だと思われます。

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<一言>
セイの法則というのは、私は知りませんでしたが、その筋では結構有名のようで、こんな非常識な考えが当然の如く流布していたと聞くと、元々怪しいと思っていた経済学というものが、どうしてもインチくさく見えてきてしまいます。
あと、Amazonのレビューに掲載したものは、短縮版ですが、多少本文とは趣の異なるものになったように思うのですが、そうでもないのかもしれません。