「答えは経済成長ばかりではありません。」

<転記 2009.9.21 レビュー短縮>

経済成長神話からの脱却

経済成長神話からの脱却

本書について、ノーム・チョムスキーが「待望の書」であるという評価を行ったということが書かれていましたが、私もその通りと思いました。
最近自分が感じている、現在の経済成長至上主義一辺倒の論調に対する違和感を、明快に文章にしてくれたという感じがして、なんだかとてもすっきりした気分が味わえました。

本書は、経済成長を前提としたこれまでの社会のあり方について、経済が豊かになっても決して人が幸福になるわけではない、というある意味当たり前の、けれどもなかなか実践されない考え方を基に、新自由主義経済の下で拡大し、いびつな社会を作り出してきた消費者資本主義から、ポスト経済成長社会への転換を図り、これまで犠牲にされてきた共同体、自然、人間の尊厳の回復を目指すことを提唱します。
その際、著者が引き合いに出すのが、アリストテレスの「幸福主義」であり、物質的豊かさよりも、幸福感を感じられる社会を目指すことが肝要であるという、多少アナクロな感じもしますが、結局はこれしかないという真正面からの提言を行っています。ちょっと、かつての「モーレツからビューティフルへ」というキャッチコピーを思い出しました。

しかし、著者が経済成長は幸福感に繋がらない例として引き合いに出すのが日本であるというのは泣けてきますが、全くその通りなのが切ないです。著者はオーストラリアの学者ですが、何かと日本が引き合いに出されるのは、やはり日本が豊かで不幸せな国というイメージが強いせいなのかも知れません。確かに様々な調査における、日本の幸福感は先進国中かなり低く、自殺率もトップレベルというデータには間違いありません。

著者は、行き過ぎた新自由主義のあり方を批判するのみならず、それに対抗すべき左翼の旧態依然とした思考のふがいなさを嘆きます。そして登場した社会民主主義第三の道をも、従来の方法の追認に過ぎず、新しい方向を示していないとして切り捨てます。結局は、これらの全てが経済成長を求めるだけの現状肯定に過ぎず、人々の幸福に繋がらないばかりか、環境と人間の繋がり、ひいては人間性をも破壊する結果になっていると糾弾します。
それは、現在の状況を見れば、物質的な富は十分に確保されているにもかかわらず、不必要に経済成長を強要され、過剰な消費を行い、そのために過剰に働き、時間もお金も心にも余裕がないという歪な状態から、明白であるといいます。

また、家事労働やボランティアなどの無償労働について、経済成長至上主義の中では無価値とされ、さらに、経済原理の中では、賃労働に換算されて、その本来の価値を貶めているという指摘は、現在の資本主義の問題の核心を突いており、労働というものが本来経済活動以上の行為であることを改めて考えさせられます。

さらに著者は、自身の言うポスト経済成長社会が、ミルの言う定常社会と同種のものであることを示し、その方向性を具体的に示すと共に、経済成長至上主義者からの反論に対しても回答しています。
その中で、「成長なしでは資本主義経済が崩壊するのでは」というのと、「グローバル化において国の経済拡大は不可欠」という疑問への反証に、またもや日本を引き合いに出して、バブル崩壊後のゼロ成長の日本は崩壊もせずに、さらに国際的な存在感を保っており、逆に文化が栄えているではないかと主張します。

このように、なにかと引き合いに出される日本ですが、実際その問題は複雑で深刻です。
少子高齢化社会保障費はかさみ、さらに厖大な借金を抱えて、返せる見込みもありません。日本の場合、経済成長が幸福への道という考えよりは、国民は現状維持と将来への不安から、また政府はその場しのぎのために経済成長を主張しているようにも思えます。企業はその本質上、当然経済成長を主張するでしょうが、もっとNPOのような非営利の団体の増加が必要なのかもしれません。
いずれにしても、なぜ、マスコミでよく見る人々の政治への要望に、景気対策という言葉が反射的に出てくるのか、もう少し深く分析してみる必要があるように思います。景気の回復とは何を指すのか、本書の示すように、答えは経済成長ばかりではないように思います。

本書は、社会の転換期にある現在、これまでの価値観を変革し、今後の社会を新しく構築していく上でとても示唆的で、大いに参考になる本だと思います。

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<一言>
経済成長が悪いわけではありません。
経済成長ばかりを追い求める姿勢が問題ではないかということです。
経済成長で得られるものより失うものの方が大きいのではないかという疑念もあります。経済成長と幸福感は本来関係ないものですが、経済的問題が解決すれば幸せになれるような幻想がある気がします。
当然そこには、別の問題が発生します。
本当に求めているものは何かをはっきりさせる必要があるのだと思います。